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再生可能エネルギーサプライチェーンにおける人権リスクの特定:EVバッテリー原材料採掘から製造までのデュー・ディリジェンス深化とNGOの役割

Tags: 再生可能エネルギー, EVバッテリー, 人権デューデリジェンス, サプライチェーン, OECDガイダンス, NGOの役割, 強制労働, 児童労働, 先住民族の権利

気候変動対策として再生可能エネルギーへの移行が世界的に加速する中で、そのサプライチェーンにおける人権リスクへの注目が高まっています。特に、電気自動車(EV)バッテリーや太陽光パネルなどの主要構成要素の原材料調達は、これまで見過ごされてきた深刻な人権課題を内在していることが明らかになってきています。本稿では、EVバッテリーの主要原材料であるコバルトやリチウムのサプライチェーンに焦点を当て、その具体的な人権リスクを特定し、国際的な人権基準に基づくデュー・ディリジェンスの実践とNGOによる効果的なエンゲージメントの視点について詳細に論じます。

EVバッテリー原材料サプライチェーンにおける主要な人権リスク

EVバッテリーの製造には、コバルト、リチウム、ニッケル、グラファイトといった多様な鉱物が不可欠です。これらの鉱物の採掘、加工、輸送、製造といったサプライチェーンの各段階で、以下のような人権リスクが顕在化しています。

1. コバルト採掘における強制労働・児童労働

世界のコバルト供給の約7割を占めるコンゴ民主共和国(DRC)では、特に手掘り鉱山(artisanal and small-scale mining, ASM)において、強制労働や児童労働が深刻な問題となっています。国連機関や国際NGOの報告書によれば、劣悪な労働環境下で、適切な保護具もなしに危険な作業に従事する成人労働者や、学齢期の児童が採掘に駆り出されている実態が指摘されています。これらは国際労働機関(ILO)の強制労働条約(第29号、第105号)および最悪の形態の児童労働条約(第182号)に明確に違反するものです。ASMセクターはサプライチェーンの透明性が極めて低く、企業が間接的にこれらの人権侵害に関与するリスクが高いとされています。

2. リチウム採掘における先住民族の権利侵害と水資源問題

南米の「リチウムトライアングル」(アルゼンチン、ボリビア、チリ)に代表されるリチウム採掘地域では、先住民族コミュニティの権利侵害が懸念されています。リチウムの抽出には大量の水を必要とするため、乾燥地域における地下水枯渇が深刻化し、地域の農業や牧畜、生態系に甚大な影響を及ぼしています。これは、先住民族の土地、文化、生活様式に直接影響を与え、国連先住民族の権利に関する宣言に明記された「自由意思による、事前の、十分な情報に基づく同意(Free, Prior and Informed Consent; FPIC)」の原則の侵害につながる可能性があります。FPICは、政府や企業が先住民族の土地や資源に影響を与えるプロジェクトを実施する前に、そのコミュニティから真の同意を得ることを求める国際的な規範です。

3. サプライチェーン全体の透明性不足とトレーサビリティの課題

EVバッテリーのサプライチェーンは、鉱山から精錬、部品製造、バッテリー組立、そして自動車製造に至るまで多段階にわたり、地理的にも広範です。この複雑な構造は、原材料の原産地や労働条件のトレーサビリティを困難にし、企業がサプライチェーン全体における人権リスクを特定し、管理することを阻害しています。特に中間サプライヤーの層が厚くなるほど、透明性の確保は一層困難となります。

国際人権基準に基づくデュー・ディリジェンスの深化

これらの複雑な人権リスクに対処するためには、国際的な人権基準に基づいた、より実効性の高い人権デュー・ディリジェンス(Human Rights Due Diligence; HRDD)の実践が不可欠です。

1. 国連ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)の再確認

UNGPsは、企業が人権を尊重する責任を果たすためのグローバルな枠組みを提供しています。企業の人権尊重責任は、政府の保護責任とは独立したものであり、そのサプライチェーン全体において人権侵害を特定し、予防し、軽減し、是正する措置を講じることを求めています。HRDDは以下の要素で構成されます。

2. OECDデュー・ディリジェンス・ガイダンスの適用

「OECD責任ある企業行動のためのデュー・ディリジェンス・ガイダンス」は、UNGPsのHRDDの概念を補完し、企業がサプライチェーン全体で責任ある企業行動(Responsible Business Conduct; RBC)を実践するためのより具体的な枠組みを提供します。特にEVバッテリー原材料の文脈では、「OECD紛争地域および高リスク地域からの鉱物の責任あるサプライチェーンのためのデュー・ディリジェンス・ガイダンス」が極めて参考になります。このガイダンスは、紛争鉱物(錫、タンタル、タングステン、金)に特化して策定されましたが、そのリスクベースのアプローチは、コバルトやリチウムといった他の高リスク鉱物にも拡張して適用可能であり、実際、多くの企業や業界イニシアティブがこれを参照しています。

このガイダンスは、以下の5つのステップから成ります。

  1. 強固な企業管理システムを確立する。
  2. サプライチェーンにおけるリスクを特定・評価する。
  3. 特定されたリスクに対応・軽減する戦略を設計・実施する。
  4. リスク評価およびリスク軽減戦略の独立した第三者監査を手配する。
  5. サプライチェーンのデュー・ディリジェンスについて年次報告を行う。

EVバッテリー原材料のサプライチェーンにおいては、特にステップ2と4が重要です。多層的なサプライチェーンの可視化を最大化し、リスクの高い地域やサプライヤーを特定するための詳細なサプライヤーマッピングとリスク評価が求められます。また、独立した第三者による監査は、企業の内部報告だけでは見えにくい実態を把握し、デュー・ディリジェンスの実効性を担保する上で不可欠です。

3. 実践における課題とベストプラクティス

課題: * 一次サプライヤー以降の可視化の難しさ: 特にASMセクターのような非正規経済に依存する調達源や、複数の精錬所・加工業者を経由する複雑なサプライチェーンでは、原材料の「最後のマイル」までのトレーサビリティ確保が極めて困難です。 * データ収集と検証の限界: 人権侵害の性質上、信頼できるデータを収集すること自体が困難であり、企業が現地情報を直接検証する能力にも限界があります。

ベストプラクティス: * マルチステークホルダー・イニシアティブとの連携: 責任ある鉱物アライアンス(Responsible Minerals Initiative, RMI)や責任あるコバルト・イニシアティブ(Responsible Cobalt Initiative, RCI)、責任ある採掘保証イニシアティブ(Initiative for Responsible Mining Assurance, IRMA)など、業界横断的なイニシアティブに積極的に参加し、共通の基準や監査フレームワークを活用することは、個社の努力の限界を補完する上で有効です。 * 苦情処理メカニズムの実効性確保: サプライチェーン上で働く人々が安全に人権侵害を訴えられる苦情処理メカニズムを確立し、その機能性を継続的に評価・改善することが重要です。これは、UNGPsの「救済へのアクセス」の柱を具体化するものです。 * 現地コミュニティや労働組合との対話: リスクに最も晒されている現地コミュニティや労働者の代表と直接対話し、彼らの視点や懸念をデュー・ディリジェンスのプロセスに反映させることは、リスク特定と効果的な是正措置の策定に不可欠です。

NGOによるエンゲージメントの戦略的視点

国際人権NGOは、サプライチェーンにおける人権問題の調査、提言、アドボカシー活動を通じて、企業のデュー・ディリジェンスの改善と政策形成に重要な役割を果たしています。

1. エビデンスベースの調査と報告

NGOは、現地調査、衛星画像分析、データサイエンスを駆使したサプライチェーン分析、内部告発者からの情報収集、ソーシャルメディアを活用した情報収集など、多様な手法を用いて人権侵害のエビデンスを収集し、詳細な報告書として公表します。このような独立した調査報告は、企業が自社のサプライチェーンのリスクを把握し、対策を講じる上での重要な情報源となります。特に、特定の地域や産業に特化したリスク評価のギャップを埋める上で、NGOの知見は不可欠です。

2. 企業への提言と対話

NGOは、具体的な調査結果に基づき、企業に対してデュー・ディリジェンスプロセスの改善、特定のサプライヤーへの対応、苦情処理メカニズムの強化など、具体的な提言を行います。企業との建設的な対話を通じて、リスクの根本原因に対処し、持続可能な解決策を模索します。必要に応じて、公開書簡、キャンペーン、株主エンゲージメントといった手法を用いることもあります。

3. 政策アドボカシーの強化

各国で人権デュー・ディリジェンスに関する法制化の動きが進む中、NGOは、政府に対して国際的な人権基準に沿った実効性のある法規制の導入や強化を求めるアドボカシー活動を展開しています。これは、個々の企業の取り組みに加えて、産業全体、さらには国家レベルでの責任ある企業行動を推進するために不可欠です。例えば、EUの企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令(CSDDD)のような動きに対し、NGOは重要なインプットを提供しています。

4. サプライチェーンの透明性向上への圧力

NGOは、企業に対してサプライヤーリストの開示や人権に関する詳細な情報公開を求めることで、サプライチェーンの透明性向上に圧力をかけます。透明性の向上は、外部からの監視を可能にし、企業の責任を促すとともに、消費者や投資家が倫理的な選択を行うための情報を提供します。

結論

再生可能エネルギーへの移行は、気候変動対策の喫緊の課題である一方、そのサプライチェーンにおける人権リスクを無視することはできません。特にEVバッテリー原材料の採掘から製造に至るプロセスでは、児童労働、強制労働、先住民族の権利侵害、環境破壊といった深刻な課題が内在しています。

企業は、国連ビジネスと人権に関する指導原則およびOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンスに基づき、サプライチェーン全体にわたる人権デュー・ディリジェンスを深化させる責任があります。これは、単なるリスク管理ではなく、企業活動の正当性を確保し、長期的な企業価値を創造するための基盤となります。

国際人権NGOは、独立した調査能力と専門知識を通じて、企業の人権リスク特定と是正活動に不可欠なパートナーです。エビデンスベースの提言、企業との対話、政策アドボカシー、そしてサプライチェーンの透明性向上への圧力は、持続可能で人権を尊重する再生可能エネルギーの未来を築く上で、極めて重要な役割を果たすでしょう。企業、政府、そして市民社会が連携し、人権を基盤とした公正なエネルギー移行を実現することが、今、強く求められています。